七輪の上の餅

記録を残すということ。続くといいな。

淡墨の惰性

文章を人前に出すの、数時間前にはやめたいと思って宣言したのに。
1週間少しですっかり習慣の一部になってしまったよく喋る筆は、水で洗ってもまだ墨を含んでいるようだ。
そもそも自分がスパっとやめるものと言うと、もう宣言も何もなく興味を失って離れるものだから、興味が少しでもあるうちはなかなかやめられない。
ツイートで延々垂れ流すよりはここで文にまとめたほうが人の邪魔にもならないしいいなぁ…。が1番だけど。

文章を書くのは好き。
人前に出して、自分の文の価値が0ではないと思わせてくれる人達に救われることもある。
ただただ、自分の中だけで終わらせずに人前に出すことで、自分が自分を評価し否定する力が増すことが怖いだけ。

負の感情が創造の原動力に変換されるせいで、否定して辞めたい今が1番エネルギーが高いとかいうわけの分からない状況が出来上がっている。
今日もひとり墨を磨る。

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人前に自分の作品を出すのが苦手だ。好きだけど苦手。
なんらかの表現方法を用いて一度は自分の手で満足か妥協かして完成させた作品。
見てもらうのは嬉しい。すき。
幼稚園の頃、枝に木の葉をざくざくと刺して「せんせ見て!焼き鳥!」などと言っていた頃から変わらない。

自分の感性は人と比較しない、独立のものとして存在するから自信を持って大切にできる。好きと言える。
それにかたちを持たせようとするとき、途端にそれは誰かの作品と比較できるものへと化ける。

「自分は完成のとき一瞬でも満足したけれど、人に比べればこんなの上出来のうちに入らない。あれもできてないしこれもできてない。こんなのは下手。」
と考え出す自分に刺される。
ハングリー精神の化け物。情緒も食べるのはやめてほしい。

自信が無いと言うときっと嘘になると思う。
「ここまでできるならこの先も行けるよね!?」と思えるのは、自分が今より上を目指せると信じて疑わず失望できるのは、たぶん本当はそれ相当の自信の持ち主。
ただ、失望の力が強すぎて常に自信がマイナスにある。

逆に、出来ないことが出来たときの肯定力は輝かしい。
人に認めてもらえるのは素直に言葉通り受け取って、同時に自信は一定時間バフを得る。
文字に残っている褒め言葉はマイナス一直線に駆け出した頃にまた見返して、元気を貰ったりもする。

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ここまで書いていて、自分には自信がないと思って来たけど、本質はそうではなくて、
自分が出来たことを人と比較せずに素直に自分の中に認めてあげる勇気が足りないのかなぁと思った。

他者に対しては比較してどうって評価しないのに、自分は比較してしまう。
そもそも何でも評価をしようとするのがおかしい…?

日付も変わり提出課題がまだ残っているので今日はここで終わり。
寝る前の頃になって、朱色の筆がこの上を滑るんだろうなぁ。
【2020/1/25 自己評価の立体交差】

雑なメモ。うた。

試験が終わってやっと日々に余裕が出てくる〜〜〜happy!

今日は1日課題と雨の頭痛と戦いながら、思い立ったように東京事変の楽曲を聴いたり自分の歌を観察したりした。
試験の出来に自信がなく心がぽっきりして過去の成績に浸る見栄っ張り人間もした。フォロワーたちごめん。

まともな文章を書く練習はしたいと思いつつ、気分が軽いのと頭が痛すぎるのとで今日は軽く。

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自分の歌に自信がない。
音程に音は当てられるし、声もできるだけ変にはならないように意識してるから特別な聞き苦しさはたぶん無いと思う。
でも、何が自分の強みなのか、何が自分の歌を好いてくれる人が好んでくれる箇所なのかが全くわからない。
分からない上に、何ができてないとかどこが悪いとか、そういう直したい点ばかりがやたらと気になって自分は下手だと思う。

好みの歌い方の人の癖を真似て自分のものにしてみたり、声の出し方を変えてみたり、年数の積み重ねで成長はしていると思う。できるだけ自分にとって気に入るかたちに歌いたいと思って頑張ってはいる。
できなかった事ができたときとか、やりたかった事ができると、一瞬今のは上手かった!?と思えるときもある。一瞬。
でも根本になにか物足りない。個性の軸もなければ安定感もない。
これはいつもの自分の歌に対する感想。書ききれてないけど、日々歌に取り憑かれすぎて今の頭でパッと文章にしきれない。

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ぼんやり自分の歌を聞きながら、「息を多くしようとするとき、多すぎるとき、声に芯がなくて安定しないな」と思った。
他にも安定しない条件はあるけど、今日はそれが目?耳?についた。
以下、雑なメモ。

・もともと地声で喋っていてもすぐ裏声に入ろうとする声質だから、喋りの地声域〜裏声手前の音域で歌声に地声の芯をもたせるのが苦手。
→最近少し意識してたけど、意識しないとどうしても息とか裏声が楽で地声より優先されちゃう。練習。

・息が多すぎるときは抑揚もつけづらいし、音を飲み込んでこもって聞きづらい。
→これは前からなんでか歌いづらいなぁと思ってた。原因に気づいたなら、今日からでも加減気をつけられそう。

・裏声を出そうとするとき、時々意図しないときにミックス寄りの裏声が出てくるせいで喉が緊張して音が上手く抜けないときもある。
→ずっと悪い癖。裏声苦手。ウィスパーファルセットミックスをどの曲でも自在に好きなの出せるようにしたいなぁ。

その辺りの点を気にしてちょっといくつか動画は見たけど、課題の後ろで聞くくらいの意識だったので、また後日練習したい。要研究。

【2020/1/23 ゆるいメモ】

母と私と耳と音

今日は、日記。考えとかじゃなくて、日記。
長い。整理されてなくて読みづらい。

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ちょっと説明。
母は進行性の難聴で、今は補聴器をつけていないときは、テレビの音も、サイレンの音も、人の喋り声も全く聞こえない。音が鳴ってること自体がわからない。
補聴器をつけていても高音域はほぼ聞こえないらしい。

真横で喋りかけても、たまに気づいてもらえない。
肩をトントンと叩いて金魚のように口をパクパクすると、『聞いてほしいことがあるから補聴器つけて』の合図になる。

補聴器をつけるようになったのは中学生の頃で、私も母も技術すごい!って興味津々で前向きだったけど、やっぱり自分も心にくるものがあった。
「自分が作る音」に限ったことだけで言うと、
どこからか分からないけど、私の声も私の歌も私のピアノも、かなり聞こえなくなってたんだなぁ。
この先、自分が作るどんな音も声もお母さんの耳に直接は届かないし、難病指定。完全に治せる方法は分かってない。全く聞こえなくなる未来があるんだなぁ。
と思った記憶。

そこから今まで、
聞こえやすい音域で低く喋ろうと意識するようになったり(それのおかげで低音の安定に自信持ってる)、
文字や目に見える作品での表現に積極的になったり(もともと好きだった)、
高校の夢が「音声認識を活用した聴覚障害者をサポートする機械のアイデアを実現したい」「人の生活を便利にする製品を開発する」になったり、(もともとものづくりは好き)
お母さんがまだ聞こえてる間に歌が上手くなりたいと努力したり(これは執着の理由の1つ)、
自分自身にかなり影響を受けた。

なんとなく、「人の要因でそうするようになったみたいな意識持ってるのとは違う」って自分に弁解したくて括弧を添える。何か嫌になることがあったときに誰かのせいにしたくない。
もともと興味があったものたちが、特別優先した興味に分類されるものになった。

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説明に文字数を割いてしまったわりに本題はあまり長くない。

今日の昼食、テレビでクイズを出されているタイミングで私が回答の検討をするような発言をすると、目の前に同じ問題を見てるのに、母は問題文を全く理解してない受け応えをしてきた。

「問題文今そこに書いてあるけど読んでなかった?」
『読んでるときに話しかけられたから全く読んでない』
知らなかった。補聴器をつけても、今は横からの会話を聞きながら1行を読むのも難しいくらい意識を使うのかと理解した。たしかに最近、言わなかったけど字幕付いてるのにドラマの流れを理解してないなって思ったときあった。

今後の対応の中に気をつけたい。どんな状況で聞いてるんだなぁの情報を更新した上で、それを意識した喋りかけるタイミング。
気づけていなかったにしても、配慮できてない言葉を言ったことの戒め。懺悔。

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でも最近良いこともあった。
一昨年、「音楽が楽しめるものじゃなくなった」って言われて1人で泣いたときがあった。
お母さんはエレクトーンも好きだったし、作曲も好きだったし、カラオケに行けば私の歌を好きって言ってくれてたし。

それがあったから、もう音楽系の聞いて欲しいの話題は避けたほうがいいのかなと思ってたけど、
1月6日はお母さんの方から「最近は歌ってないの?」の話が出て、最近の自分の歌を聞いてもらえた。
上手いって褒めてもらえて嬉しかった。
弾き語りも成長してるって褒めてもらえた。
好きな歌声の友達の歌も聞いてもらった。
どこまで聴こえてるのかなぁ。苦しくなるけど、でも鍵盤の叩き方の話してくれたってことはピアノの音、補聴器で聞こえてるんだなぁ。

楽譜が残ってるおかげで、お母さんの高校の頃作った曲も聞かせてもらえた。
何もかもまとまらない話になるな。一旦終わって寝よう。

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試験終わったら、曲を作りたいのと、弾き語り練習再開したいのと、あと相変わらず歌上手くなりたいの気持ち。埃かぶってるエレクトーンにも触れてみたい。友達とゲームする。オンライン飲み会もする。遊んでるだけじゃいられないけど。

本人に教えてもらわないと分からない聴覚のこと、これからも家族で一緒に聴覚との付き合い方を考えたり、自分も対応の仕方考えたりしたい。

【2020/01/22 】

【壺プリン】

壺プリンとりあえず昼食までに思いついたところまでのメモ

[発想]
ひととの会話のやり取りでどうしても壺を買わせようとした結果、直前の話題のプリンにつながった。バケツプリン。

[販売目的]
焼き物を名産品にしている地域。個人の作品。
お土産に手を出しやすいくらいの値段・重さ・大きさで焼き物を販売して、作品に馴染みやすくする。

[概要]
・プラスチックのカップにプリンを作ってヒートシールで蓋をする。ひと回り大きい器におさめる。

・見た目は陶器があたたかみがあって美味しそう。
釜飯を釜の重さ厭わずに買ってもらえるなら、定着させればプリンにも使えるはず。観光客、買って。

それか、もう認知されている伝統工芸なら、実際の焼き物ではない素材で、雰囲気が伝わる模型を安価に仕上げるのもあり。
さらに軽くなって2-6個入りくらいの箱×数箱でも売れる。
容器をその都度捨てることになるから複数回買ってもらえる可能性がある。

・個人の作品なら、シンプルに、色味の作風が分かるとかのデザインのほうが、手間をかけすぎないで済む。他の作品を購入してもらえるきっかけになって良い。
ただ、普通の個人の作家がわざわざ仕事を増やしてまでやるには割に合わなそう。どうなんだろう。面白さはあるけど実際のコスト分からない。

レプリカのロット生産して有名作家の個展のミュージアムショップに置いてあるくらいのイメージ狙わないと厳しそう。
その場合、既存の器のミニチュアのような扱いでデザイン制作すれば、既存の作品の方にも興味持ってもらえる可能性がある?

・器の蓋の選択肢は、見た目にこだわって陶器に揃える、もしくは、ポリプロピレン、紙をリボンやゴムでおさえるあたりの普通の包装。
不良品とか運搬のことを考えるとやっぱり後者のほうが現実的そう。

・容器の色味とプリンの風味の色味の配色とかも楽しめそう。

・応用として蛸壺を使う地域で蛸壺モチーフの茶碗蒸し(蛸入り)を作るのも面白そう。容器の蓋を紙+ゴムにして、蛸の絵柄のタグつけよう。絶対可愛い。

想像して言うだけは自由。楽しいなぁ。
【2020/01/21 ひとり製品開発1】

水槽の迷彩

水槽が呼吸する
限られた箱もなく、腕で抱えられる程の水
その領域に泳ぐことを許された無数の魚たちがきらめく

窮屈そうに水圧に潰され水底に這う魚影が見える。あれは、自信。
やろうと思えば水槽を大きくすることも水圧を変えることもできるはず。
しかし私は、あれが自由に泳ぎ出すのが怖い。

自分はちっぽけだと押さえつけ、小さな領域の中に数多の魚たちを泳がせることで、微かに見える魚影を、自分にとって認められる範囲の自分を大事にできることに安らぎを得ているのかもしれない。

水槽の迷彩

誰かに認められたとき 水槽が呼吸する
魚影が水を押しのけ ひとつ閃く


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寝起きに思いついた言葉を記して再び寝る。
起きたらこれは怪文書になってるかもしれない。
自分の中に好きだと思うとき(人間の味とかできた事とか)は度々あるのに、素直に認めてあげられないから全肯定できないなぁって気持ち。

【2021/01/20 磨り硝子の視界2】

配信者の言語の想像

毎日の考えたことのメモをしようと始めたわけだけれど、昨日の夜は友達と通話してたから、他のことは何も考えなかった。

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深く考えることはしなかったけど、寝て起きて、ちょっと想像したものはあった。

もしエスペラント語のような、もっと、母国語とこの言語は絶対誰でも使えると言われるくらいに普及した国際共通言語があったら。それを話すVtuberがいたら面白いだろうなぁ。

自分は英語ならある程度理解できる。
けれど、違う言語間で意訳するステップが必要になるとか、その言語特有の自分の文化にはない概念の言葉が出てくると、どうしても話し手の言葉選びと自分の訳が完全一致しているとは言えなくなる。

この差がたまにもどかしくなるときがある。
私は浅葱色が好きだけど、それに完全一致する単語は英語にないらしいから、「pale blue-green」「light blue」と説明することになる。
でもそれは私が伝えたい「浅葱色」とはまた少し…違うんだよなぁ。 
そもそも色は、JIS慣用色名で定義された色だとか、カラーコードとか、RGBの数字が〜とかそういう統一された言語・記号を使わないと、本当に正確には伝えることはできないから伝えるのが難しいけれど。
それとは別として、話す言語の話。

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もし国際共通言語を使って、配信者もリスナー同士も言語の壁なく、話し手の選んだ言葉そのままが、リスナーの所属する言語圏に関係なく届いたら。
面白いだろうな。

逆にその配信者しか使わない独自の新言語を生み出して、辞書も文法書もない未知の言語を頑張ってリスナーが理解していくのも面白そう。

今日はそんな想像を、Vtuberの配信を見ているタイミングでふんわりと考えた。

【2021/01/19 配信者と言語】

飽和する余白

下がり調子の期間は、いつもの頭の余白部分が全部自分の事を考えるのに割かれて他の気になることが拾えなくなる。
今日も起きて自分の外の世界に触れて、そこから派生する知らないこと気になることが溢れているはずなのに。

「私は物を積み上げて創造しているか、彫刻して創造しているか」
一瞬違うこと考えた。
…上手く進まないから他の日に持ち越すことにする。

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他の物事全てに接して滑らかな動きを妨げようとする。錆びて動かないどころか、我が物顔で他の歯車の歯を削らんばかりの存在感をもって場所を得る、この、独立した逆回転の歯車。
邪魔で邪魔でしょうがない。
(「自分のことを考える」ことに対して、「それが自分のためにあるかのような態度や顔つきをすること。」を意味する言葉を使うのは奇妙な気持ちになる。我の物だよ。)

この落ち込み期間を「自分は何もできない無駄な時間を過ごしている」と評価する自分のせいで、さらに自分を苦しめている気もする。
自分を考える時間自体は、無駄じゃない。
自分の考えることに対して、自分に根付くどの考えがそれに繋がった結果そう思ったか?を逆向きに深めるのは、自分への理解の解像度が上がる。
自分への理解が深まるのは、他者の考えに触れるときと同じような興味深さがある。

ただ、下がり調子から抜け出せる方法が分からないから、いつまでも頭の余白が自分に支配されて他の思考にまわせないことをとても残念に思うし、無駄な時間になっているなぁと思う。

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今日は駅からいつもと違う道で家に帰った。
馴染みのない住宅街を通って知らない日常を感じるのは、良い気分転換になる。
これのせいでよく地元で迷子になるのだけど。


知らない図書館の前を通った。
閉館時間を迎えた窓に飾られた折り紙のみかんは少し日に焼けている。

知らない家から美味しそうな焼き魚の匂いがした。
食への意欲はいつもと変わらず顔を覗かせる。

知らない公園のベンチでファミマのガトーショコラアイスを初めて食べた。
美味しい。今度妹と一緒に食べよう。

ふらふら歩いてるうちに知ってる道に繋がった。
安心してイヤホンを耳につけ、聞き馴染んだ音で自分の日常に入る。

帰宅して上着を脱ぐより前に、友達の絵を新しいフレームに入れて本棚に飾った。
自分の空間に好きなものが増える。

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下がり調子でも好きなものが好きなもので居られるときは安心する。怖いのはそれすら興味のないものになるとき。
もの自体は変わらないのに、自分の心が化ける。

自分の望んだ意思で変わったわけではない場合の心というのは、「化ける」のか?それとも「化かされている」のか?
【2021/01/18 育つ駆動歯車】